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11月3日記念講演会に参加していただきありがとうございました




 書評

   読書感想文のつもりでお気軽にどうぞ

小森陽一さんの著作を読んでこころが動いたこと、読者がそれぞれの感性で感じ取ったことを「書評」としてご紹介しています。

このぺーじにたどり着かれたみなさん、どうぞ思いおもいの「書評」をお寄せ下さい。

 「書評」への投稿、ご感想はこちらから

『漱石論 21世紀を生き抜くために』

書籍名 『漱石論 21世紀を生き抜くために』
著者 小森陽一
出版社 岩波書店 (2010/5/28)
単行本: 384ページ
 






 本書は2010年5月に刊行された。小森さんは、2004年発足した「九条の会」の事務局長として、講演で各地をとびまわる繁忙をきわめたなかで書き下ろされた。過去に発表した論文、論稿を集めて本を出版する例があるが、そうではなく、あらたに稿を起こされたことに驚かされる。しかも、例によって膨大な資料を渉猟されている。

 私事を交えて書くことをおゆるし願いたい。現在熊本大学の中に、五高記念館として赤レンガの建物があるが、ロンドンへ官費給付留学生として留学する直前まで漱石は4年余の間、第五高等学校の教師として赴任した。この校舎で学んだ最後の世代として、思い出深い建物である。あの建物は、夏は涼しいが冬は寒かった。1960年代後半に在学した。学生運動の立て看板と、新しい校舎建築のためのダンプカーがせわしく行き交っていたという思い出がある。キャンパスは荒れていた。卒業式はなかった。主任教授が研究室に卒業生を集めてはなむけのことばを言われた。「学生時代は陥没時代である。ふり返ってみるとそういえる」と。深い共感を以て受け止めた。万葉集をはじめとする研究者で、敬語法の権威でもあった。

 いつの間にか姿を消したが、入学したころは五高の紋章を着けた机や椅子があって、まだそれらを使っていた。

 漱石は熊本時代に結婚し、手紙によるやりとりで正岡子規を師として多く俳句を詠んだが、その4割は熊本時代のものである。と、こう書くのは、熊本には漱石について一家言ある人が何人かいて、漱石について目や耳にすることがよくある。漱石は熊本時代に6回引っ越したという通説に対し、いや7回だったと資料をあげていう人もいる。そのひとつ、内坪井の漱石旧居が漱石記念館とされている。人生の最も充実した助走ともいうべき期間をこの熊本で過ごしたのだ。

 五高の開学記念日に、「それ、教育は国家百年の大計なり」という祝辞を起草したのは、漱石であった。たいへんな名文であったと、語り伝えられている。

 そして池田駅といっていた、今の上熊本駅に漱石は降り立ったので、駅前に漱石の銅像も建造された。漱石を観光に使うなら、独立した堅固な建物を記念館として建ててほしい。

 『草枕』や『二百十日』など、熊本を舞台にした作品があるのだから、それらのルートの景観を写したパネル写真もふんだんに展示すべし。

 JR九州が、『草枕』で語り手の画工が歩いた上熊本駅から天水町まで13kmのウオーキングを開催しているのに参加したことがある。ことしもちょうど小森さんの講演日である11月3日に行われる。天水に近づくと、山々はこの地の特産であるみかんの収穫の真っ最中であった。農家の主婦の人たちが、作業しながら声をかけたり笑顔を向けてくれた。帰宅後、『草枕』を再読してみると、季節は春であった。JR九州はなぜ秋にしたのだろう。

 本書に戻る。自分が女性なので、かねてから漱石が描く女性像に物足りなさを感じていた。しかし本書を読んで、漱石が生きた時代は、結婚し夫の経済力に依存する他なかった当時の女性たちが、固有の1個の人間として生きようとしていることを、小森さんは作品にそって教えてくれた。ジェンダーやセクシュアル・ハラスメントという漱石亡き後に産み出された概念も駆使して、漱石と同時代に女性自らが人間宣言したともいうべき『青鞜』での論争も視野に、語られているのはうれしい漱石の再発見であった。
2011.11.2(赤木 光代)

追加

 このHPに掲載していただいた書評のうち最後の『漱石論 21世紀を生き抜くために』に関連して。この中に、漱石の『心』をめぐる研究者同士の論争があったというところで、三好行雄さんの名がある。この方から大学在学中に集中講義を受けたことを附記したい。熊大に近代日本文学を専攻する教師陣がいなかったため、他の大学から専攻する人を招聘して1週間か2週間、ある作家についてぶっ通しで講義をしてもらうことがあった。三好さんは当時東大の助教授。芥川龍之介について講義された。芥川の『芋粥』の主人公は、五位という最下級の貴族で、よれよれの水干を着、寒さで鼻水を垂らしているようなうだつのあがらない人物であったが、ただ1点、芋粥を食べたいという願いを強くもっていた。時は平安時代。それを知った当代随一の権勢家が、その奥さん、つまり通い婚の時代だから奥さんの実家に五位を連れて行き、庭で大量の芋粥をつくらせて五位に供した。あまりの多さに五位は芋粥を食べる意欲を喪失してしまったという話である。この話を、三好さんは、権力をもつ者が、五位のような弱い者の芋粥が食べたいということを自己のレーゾン・デートル(存在意義)としているのを、にべもなく奪ってしまった話として講義された。その解釈はショックだった。三好さんが亡くなったのは60歳前だったと思う。小森さんの視座と相通するものを感じる。小森さんと同じ東大だから、接点があったのではと思っていたが、あったことを本書で確認できた。

「天皇の玉音放送」

書籍名 「天皇の玉音放送」
著者 小森陽一
出版社 朝日文庫 (2008/8/7)
文庫: 316ページ
 






 1945年8月15日、昭和天皇の終戦の詔書が放送された。玉音とは、天皇の肉声を音にしたもの。天皇の身体は玉体。天皇は玉のように尊いという意味なのだろう。映画やテレビのドラマやドキュメンタリーで、しばしば「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という部分のフレーズが流される。

 著者の小森さんは日本近代文学専攻の研究者らしく、その部分だけでなく詔書の全文を逐一読み解き、問題にする。結論から先にいえば、終戦の詔書は歴史認識において天皇自身と日本政府が決定しやったことに対し、何らの反省もしていない、従って責任もとろうとしなかったいう結論である。

 本書が書かれた動機は、1990年代いわゆる「冷戦構造」が崩壊し、親米開発型の軍事独裁政権が支配する国々における民主化運動の急速な発展をもたらし、日本の植民地支配と侵略戦争の責任を問う、草の根の運動がアジア諸国や日本国内でもたかまり、「従軍慰安婦」についての記述が、中学の歴史教科書に掲載されるところとなった。

 これに対し、これを削除することを求める「自由主義史観研究会」らの動きが始まった。近年の歴史研究では、主に植民地支配した国々から、あるいは騙し、あるいは拉致同然に連行してきた女性を、軍の慰安婦=性的奴隷として配置した事実があったことは通説になっている。日本軍の組織的な行いであった。

 「東京裁判」は戦勝国による裁きであり不当という見解がある。ならば、先の戦争について国をあげて総括があってしかるべきところを、そのような見解をもつ人たちから、事実をふまえ冷静に検証しようという声はあまり聞かれない。

 本書の圧巻は、連合国から通告されたポツダム宣言を、受諾するかどうかの攻防のところである。通告は同年7月26日、受諾の決定は8月14日である。この間に、広島、長崎に原爆が投下された。原爆により33万人が亡くなった。ソ連軍の「満州国」への進入を招き、国策により「渡満」していた何百万人もの日本人は、関東軍にうち捨てられ避難民となった。そして60万人を超す兵士らが、シベリアその他に連れて行かれ、そのうち1割強が抑留中に亡くなった。「戦後」に、である。

 受諾が遅れた理由、それはこれまで通りの天皇を頂点とする体制である国体護持をいかにして相手の国々に認めさせるか、天皇を権威づけると彼らが信じていた「三種の神器」の奪取を免れる方法に苦慮していたためであった。

 ことし3月11日に起きた東日本大震災で、特に原発事故が人災の最たるものとして問題になっている。責任のある人たちは責任を免れるために、あらゆる手段をとっている。もはや「一億総懺悔」のような、無責任の論理にだまされまいと思う。

 本書が書かれた問題意識とともに、いつもながら小森さんの著作は、関連資料の集め方や読み解き方の、大学での講義を受けているような思いであった。
2011.11.1(赤木 光代)



「漱石を読みなおす」

書籍名 「漱石を読みなおす」
著者 小森陽一
出版社 筑摩書房 (1995/06)
新書: 254ページ
 






  夏目漱石作品の深さとひろがりを知った

 7年前、加藤周一、大江健三郎さんらによって「九条の会」がつくられ、小森陽一さんという東大教授が事務局長だと知るより前に、小森陽一さんの名前を知っていた。1995年に発行された『漱石を読みなおす』の著者として。漱石について書かれた本は多いが、本書を読んで類書にない衝撃を受け、著者名を自然に記憶にきざんだ。

 中学2年のとき漱石の『坊っちゃん』を、高校1年のとき『吾輩は猫である』(以下『猫』)を読んで以来、折にふれ読んできた漱石。経営する喫茶店の書棚に、週刊誌や画集とともに『漱石全集』全巻をおいている人、外出するときは必ず、漱石の本を5冊ばかり鞄に入れていくという人もいる。200年後の読者にも読まれたいといった漱石。没後100年を迎えようとしている今、本書は漱石作品の良質なナビゲーターとなるのではないか。

 『坊っちゃん』の読みはじめたとき、冒頭の勢いが最後まで続くのだろうかという関心をもって読んだ。最後まで勢いが崩れなかったことに感心したことを覚えている。

 『猫』にちりばめられた文明批判、近代化のありようへの批判は、政治的権力をもつ者や、明治維新後国策として育成された急速な産業資本主義によって金満家となった者への、単なる怨念や慨嘆や痛憤や揶揄(からかい)でないことを感じた。それが何なのかを言語化することはできなかったが、『漱石を読みなおす』があますところなく解明してくれた。

 漱石のいいたかったことは、「自己本位主義」。漱石の亡き後30年後に制定された日本国憲法13条のいう個人の尊重・個人の幸福追求権にも通底することではなかったか。「自己本位主義」は、自分の幸福のために他人を排除・排斥することではなく、自他ともに幸福を追求する自由をみとめることなのだ。他人とは、漱石が生きた時代の明治期、何度も近隣国を侵略し植民地化しようとしていた植民地の民や、法的に無権利であった女性もふくむのである。権力や金力で、その自由を妨害することをしてはならないと、漱石はくり返しいっていると小森さんは指摘する。特権など誰にもない。人を評価する統一基準などないという。本書の読後、女性であり無職の私のような者でもいていいのねという気持ちにさせられた。誰もが居場所を与えられる。存在をみとめられる。

 あとひとつ、本書を読んで自省したことは、自らの漱石作品の読みが浅かったことである。小森さんは実によく、その作品の書かれた時代状況をとらえている。漱石が何を意識し、また視野に入れてその作品を書いたのかを、克明にたどっている。近代史の教科書にもなりえるほどである。
2011.10.31(赤木 光代)



「レイシズム」

書籍名 「レイシズム」・・人種差別主義
著者 小森陽一
出版社 岩波書店,2006


 






 『「人種差別主義」が、よくないことであるという、正しさのレベルで問題を捉えている以上、私たちは自分でそうと自覚しないままに「人種差別主義」的にふるまったり、感じたりすることに、気がつくことはできないのである』*本文P17引用

 自分の攻撃を正当化するため、被害者を差別化する必要性があったこと。歴史的に見れば、人類は暴力による略奪を繰り返してきた。アフリカ、インド、アメリカ大陸、オーストラリア。攻撃して制圧するということは、たえず、その逆の人々からの恐怖を伴うもの・・・だから被害者を差別化し、抑圧者に比べて大きく劣っていると規定することが必要となってくる。その時、人種的差別が顕在化する、と思いました。

 逆に所有している諸権利について正当性を確信していれば、あえて「自己正当性」を主張する必要はない、と著者は言っている。このことに人間はなぜ差別をしたがるのか、根源的な理由が見えてきました。

 暴力の記憶を消す「アイデンティティー」の概念
 例えばアメリカは、アメリカ大陸に住んでいた原住民の土地を奪うことで成り立っている。それが「独立」であり「自由」であったはずだ。しかし、それを正当化するために自分たちのルーツを再度構築しようとする試みが「アイデンティティー」の規定へとつながるのではと思った。その「アイデンティティー」という概念が使われるようになったのが、マッカーシズムが吹き荒れた後だったと著者は指摘する。パレスチナの人々が住んでいた地域にシオニズム運動を起こしての、イスラエルの建国。ホロコーストの記憶をうまく利用しながら、米英が中東を半ば永続的な紛争地域にしてしまったとさらに指摘する。

 WASP,オリエンタリズム、アイデンティティー、六本人、永井荷風の「悪寒」・・・この本に登場するキーワードを読み解くだけでも、人種差別主義を考えるうえでの大きなヒントになりました。
2011.10.10(大畑 靖夫)



「生きさせる思想」

書籍名 「生きさせる思想」  記憶の解析、生存の肯定
著者 雨宮処凜 小森陽一
出版社 新日本出版社,2008


 





 まず、雨宮処凜という人が、社会の事象に対して真面目に向き合い、自らの体験をもとにその根源的なものを探ろうとしているのに、驚きました。

 自分の立ち位置の確認を求めて、一時は右翼団体にも身を置いている。その人が、体を張って経験してきたこと、見てきたことを冷静に分析している点に、自分よりずっと若い人が堂々と問題提起をしていることに、素直にあっぱれな生き方だと尊敬せずにはおられない。

 そして、対談相手の小森陽一さんが、世代が相当離れて、しかもこれまで生きてきた環境もまるっきしちがうのに、雨宮処凜さんの問題提起を正面から受けとめ、租借し、みごとにその核心を浮かび上がらせているではないか。想像力とは、このようなことをさすのだろうと思いました。

 ・思考停止の背後にある欲望
小森 「漠然としたテロへの恐怖が、北朝鮮という仮想敵を発見することで攻撃性に転化していったと思うのです」*本文P92引用

 アフガン、イラク、北朝鮮と、アメリカにとってもそうだが、日本人にとっても、わかりやすい「仮想敵国」を持つことは、物事を単純化し、社会問題の本質解明への道を閉ざす、「思考停止」を作り出すこと。同時に、「新自由主義」とも相まって、「自己責任」へと問題のすり替えを国家をあげて行なってきたことに強く納得。

 「生きさせる思想」は、平たく言えば、「社会の役に立たない人」も堂々と生きていいのだ、弱い人を社会として肯定する思想だ。他の人をけ落として前に出る価値観について、対談の中でこれはおかしいこと、異常なことであることを丁寧に解き明かしています。

 今までぼんやりと思ってきたこと・・・それをこの本を読んで、ますます自分自身に自信をもつことができたことが何より嬉しかったです
2011.10.9(大畑 靖夫)

「世紀末の予言者・夏目漱石」

書籍名 世紀末の予言者・夏目漱石
著者 小森陽一
出版社 講談社, 1999
ISBN 4062087677, 9784062087674
ページ数 286 ページ

 






 『漱石の「自己本位」とは、この絶対的差異を生きぬくことであり、 生きぬくことはまた、絶対的差異としての自己を差異化しつづけること』(著書から引用)

 まったく、現在に通じることですね。堂々と「自己本位」を貫くことは悪いことではない、ことに安心しました。

 漱石が文明開化に対する人間の活動を二つの面、積極的な面と消極的なな面があると分析しているところが面白かったです。

 積極的な面でいえば、個性の開花、個人の欲望のための活動があり、消極的な面は、「汽車汽船、電信電話自動車」など、”文明開化”の象徴を、決して”開花”として評価していない点です。

 電話にしても汽車・自動車にしても、「横着心の発達した便法」だと言っています。インターネットとかも、まさしく「節約」の便法で、100年も前にそれを見抜いている点がすばらしい。

 私も、ITの片隅で仕事をしている人間ですが、システム開発やメールも人間の消耗を節約する、「横着心の発達した便法」に他なりません。小森さんも、東大の教員の中でメールで連絡を取れない唯一の人間だと自ら書いておられました。数年前のことなので、今は違うと思いますが。

 「労働」についての漱石の分析もなかなか面白いものでした。「文明開化」で「職業」の分業化が進み、働くよろこびが得られにくくなったと言っています。
2011.09.25(大畑 靖夫)